2016年10月23日日曜日

福井県(福井市)ここがアカン・・・・

福井は言うまでもなく、勤勉な県民で共働き世帯が非常に多く世帯収入も多いようです。その結果、物価が上昇するわけですが、これは市場の正常な原理だからしょうがないのかな。我慢します。

我慢できないこと
●自動車運転マナー(自転車も含めて)最悪。全国最下位レベル
福井に旅行に来たら気を付けてください。横断歩道でも気を抜いてはいけません。そこのけそこのけ車様のお通りだ!という世界。歩行者がいても”ほぼ”止まりません。本拠地埼玉、前任地長崎に比べても市街での自動車事故が多いです。記録上多いのではなく、目撃数が多いのです。マナー違反(道交法違反ね)も数知れず。書いたらキリがありません。


とにかく、車のマナーが直れば好感度上がるのにね

フェニックス精神

福井の大通りに”フェニックス通り”ってあります。市内のマンホールの蓋もフェニックス=不死鳥が描かれています。なんで不死鳥?

1.大空襲
2.大震災

という度重なる災禍から立ち上がる精神を不死鳥にななぞらえているようです。
大災害という意味では、平成16年7月の福井豪雨により水害が発生しています。死者は3名と少なかったものの、足羽川が氾濫して、広範囲が床上浸水したようです。


やられても立ち上がる福井の精神は素晴らしいものです。ここは見習うべきですね

福井県とは?福井県ってなんで魅力がないの?

福井県とはどんな県?
・日本地図の何処かわからない
・裏日本とか呼ばれていた
・知名度47都道府県下位ランク
・観光魅力度40位

など。良くないですね。暗い。いい所って?
・食い物うまい→ただし、素材が抜群だけど独自の食文化(長崎でいう卓袱料理とか)は無い
・幸福度ランキングNO.1
・全国学力(学生)上位レベル

てな感じ。まぁ”これっ!”という物がない。強いて言えば最近の新聞を賑わせている高速増殖炉「もんじゅ」があります。原発銀座なんて呼ばれてますね。ただね、原発銀座があるのは福井でも敦賀市よりも南に位置していて、福井県では嶺南(れいなん)地方と呼ばれます。福井市は嶺北地方です。

そもそも福井県っていつできたのか?
廃藩置県になる前までは、越前国(福井市近辺でしょうかね)、若狭国と藩が違いましたね。戦国時代とか一乗谷朝倉氏とかの話までは遡りません。
1.最初は、福井県と敦賀県。要するに嶺南・嶺北で違う県だったんですね。
2.福井県は足羽県(あすわ)に改称
3.足羽県は結局、敦賀県に編入
4.木ノ芽峠(嶺南と嶺北を分ける峠)で敦賀県を滋賀県、旧足羽県を石川県に編入
5.結局、滋賀県・石川県も元の敦賀県、足羽県を分離。今の福井県になる
という歴史。紛争があったわけでも何でもなく、政治でくっつけたり分けたりした様子。これだけの歴史に驚きですけどね。

まあ、これだけの歴史があるので魅力的な県に思えるんですけどね。徳川家や柴田家との繋がりも深いし。佐々木小次郎は一乗谷で修行していたし・・・・

経済は発展するわけです。昭和初期の戦前まで。農業や漁業も盛んでしたが、産業はなんといっても繊維。戦前は繊維やら軍需産業もたくさんあったのでしょう。このまま発展していれば今の福井の姿にはならなかったのでしょうけれども。

1.福井空襲に見舞われる
昭和20年7月の終戦間際に、地方都市としては全国トップクラスの被害。B-29(米国爆撃機)が127機も飛来したそうです。福井市街の損壊率は80%を超え大きな打撃を受けました。直接の死者は1500名余りだったそうです。この時に大半の史跡を失ってしまったのですね。残念な事です。
2.戦後まもなく大地震に見舞われる
平成23年6月(戦後ほぼ3年)。復興の兆しが見えていたはずであるこの年に、福井県は大震災に見舞われます。活断層が動いたそうです。福井市は記録によると震度6。この地震で、3800名の命が失われました。記憶に新しい、東日本大震災・阪神淡路大震災の死者に次いで3番目の死者数です。この事からわかるように当時では大災害だったのです。
※地震の爪痕も減ってきているということですが、福井城址(いまの県庁)の天守閣跡に液状化して地中に沈んでいる石積みを見ることができます。

こんな大事があったから、戦後は大変だったのでしょう。だから古い町並みが殆どなく、建物は昭和以降のものです。

そんなこんなが、今の福井の始まりです

再開しますか。ぼちぼちと

現在も福井に在住。前任地の長崎市は2年4か月おりましたが、福井は2年10か月とあっという間に(個人的ですけど)過ぎたという思いです。

こちらに来てブログが滞っているというか書いていないのは、長崎に”比べて”満足感がないのです。なぜ満足感が無いかと言えば多々ありますがブログに少しずつ書いていきたいと思います。

まぁ気長にやりますかね。

2016年4月19日火曜日

熊本地震にお見舞い申し上げます

先日来発生している熊本地方を中心とした地震で被災された方に謹んでお見舞い申し上げます。

お亡くなりになった方、行方不明の方のご家族の心労は計り知れません。東日本大震災を横浜で罹災した私は5年前を思い出し、涙ながらに映像を見ています。

テレビ番組(特にバラエティ)の自粛の賛否がニュースを賑わせています。心労を増すような映像は控えたほうが良いとは思いますが、あまりの自粛は行き過ぎというのも分からなくもありません。

ニュースでは、熊本県周辺にある工場の操業停止が報じられています。経済への打撃も心配です。また、九州全域ではゴールデンウィークの旅行のキャンセルが相次いでいるそうです。本当に心配です。


2016年1月7日木曜日

カメラ談義

ワタシには、妻と娘と息子がおりまして、娘は今年二十歳の誕生日を迎えます。彼女の生誕と共に記録に残そうとカメラを買いました。ちょっと背伸びしたカメラ。妻はビデオが良いと猛反対したのですが、半ば強引にフィルムカメラにしたのです・・・・・

購入したカメラはCONTAX G1というカメラです。レンジファインダー式カメラといって、ファインダーを覗いた画像と写真を撮る画像が違うカメラなのです。一眼レフというのは、ファインダーを覗いている画像は装着しているレンズを通して見ているため、見た目の「画角」に忠実と言われています。一眼レフより優れいてる点は沢山有るのですが、やはりミラー用のスペースが必要ないので、素直に良いレンズが作れる点です。

購入時に、カメラ本体+レンズ(45mmプラナー)+フラッシュ(TLA140)を購入し、今日まで大事にしてきたわけです。久々にファインダーを覗いてみたら曇ってる曇ってる。真っ白。とてもじゃないけど写真を撮れる状態じゃありません。実は、昨年の3月に当時のコンタックスブランドを販売していた京セラがアフターサポートを完全に終了するという情報は仕入れていたのですが、仕事が超多忙で失念していたわけです。ということで、このカメラが「思い出」に変わってしまうということを覚悟したのですが、Web徘徊中に、京セラカメラ事業部、ヤシカカメラ事業部のノウハウや部品を引き継いだ会社があることが判明したわけです。

その会社こそ「リペアサービス諏訪」。凄く丁寧に仕事をしていただき、ファインダー清掃、フィルムカウンター液晶漏れ部品交換、新レンズ対応ROM交換をしていただきました。あと20年使えるとお墨付きをもらいました。この縁に感謝です。

部品は潤沢だそうです(部位によってだと思いますが)。また技術も継承されているそうなので安心です。妻には内緒で、その後発売されたG2と35mmプラナー、90mmゾナーも持っており(勿論中古の叩き売り)将来が楽しみです。フィルムカメラも良い物です。

年が変わりましたね

サル!サル!サルゥー!ということです。正確には丙猿(ひのえさる)ですな。

まぁ、元気にやっているわけです。福井でね。早いもので3回目の冬が巡ってきました。しかし、今年は暖冬といわれているだけあって「暖かい」。昨年のうちから近くの公園の紅梅が満開など・・・・春はどうなっちゃうんだろ・・・・・越前海岸の水仙ももう咲いているらしいし、椿も開花とか。完全に狂っちゃいましたね。
原因は、エルニーニョですよ。エルニーニョもそろそろピークを越すらしいので、逆に3月4月に雪を降らせたりすることがあるそうですよ。困ったものです。関東ではドカ雪に注意したほうが良いらしいです。成人の日とか、センター試験の日はせめて晴れてあげてやってください。切に願います。